投稿日時:2021/1/12
「鎌倉街道と高岩・野田の市」看板設置と今日の忠恩寺
高岩山忠恩寺に「鎌倉街道と高岩・野田の市」の看板が設置されました。内容は、市内にはいくつかの鎌倉街道と呼ばれる古道があります。鎌倉街道は、武士が「いざ鎌倉」という時に馳せ参じた鎌倉に通じる古道ですが、広義には中世の古い道のことを言います。高岩・野田を通る道は鎌倉から奥州方面に行く主要街道の「中の道」と思われます。
室町時代の記録から室町・南北朝時代に高岩地区と野田地区に市が立ったことが推測されます。また下野田地区に日川宮市という地名ものこっています。市は街道添いに立つことが多いので、この付近を大きな街道が通っていたことを裏付けるものです。
高岩天満神社、忠恩寺、正伝寺、大徳寺などの寺社も鎌倉街道添いに造営されたものです。
江戸時代になると将軍の日光社参のため日光御成道が整備されましたが、これは
鎌倉街道中道に沿って整備されたものと思われます。これが、看板の内容であります。 なお、看板設置は、白岡市観光協会に設置して頂きました。また、高岩には、上宿・下宿・本村という地名がありますし、忠恩寺は、歴代徳川家から30石高を頂いております朱印状があります。
今日は、コロナ禍ですが、忠恩寺としてどうしても必要な新役員の顔合わせと令和2年決算書と令和3年予算書に係る会議を開催致しました。会議は、順調に終わりましたが、私は約40年責任役員を務めてまいりましたが「離檀」という、いわば忠恩寺の檀家を離れるということに2件突き当たりましたので、大変複雑な気持ちになりました年の初めです。
また、長年「総代」をつとめられた関根総代が体調不良によりまして辞任致しました。関根総代、長年ご苦労さまでした。そして、お世話になりました。後任につきましたは、住職様の意向と慣例もあり、下宿・本村・田端地区の中から、委員・世話人協議により推薦頂くよう依頼致しました。この1年が平穏でありますよう願うばかりであります。